倉敷市指定重要文化財 楠戸家住宅
楠戸家住宅について
楠戸家住宅について
老舗の風格 磨き込まれた美しさを誇る
店舗は木造本瓦葺の厨子(ずし)二階建て。荷物の出し入れができるようにしたはめ込み式の出格子は、長い桟の間に短い桟を3本入れた倉敷格子といわれる倉敷の町屋の伝統的な建築様式です。2階の外壁は漆喰を塗り、腰部分はなまこ壁で、窓枠も桟も漆喰で塗り固めた「虫籠(むしこ)窓」が3つあります。虫籠窓は江戸時代初期から京都や大阪の町屋で見られた窓形式で、倉敷には明治期になって入ってきたといわれています。このように楠戸家住宅は江戸時代の倉敷町屋の特徴を継承しつつ、上方の洗練された意匠を加えた特徴的な外観をしています。
商家らしい構えとして袖卯建(そでうだつ)、大理石の看板が付けられ、掃き清められた三和土(たたき)仕上げの土間と上がり框(かまち)のある店先には、行商のときに反物を入れて背負う箱「ぼて」や販売台、帳場が創業時のまま残っており、はしまや呉服店の長い歴史を感じることができます。
お客様をもてなす奥座敷は床の間や違い棚、付書院が設けられており、一流の意匠が施されています。また、床柱は杉で、畳に接する部分は柱を削った筍面が施されており、平床は、漆塗りの欅の一枚板、天井板は樹齢千年を迎える屋久杉、大正期にドイツから輸入されたガラス戸など、奥座敷や客間、南北の縁側には特に吟味された材料が使われており、それらは長い年月を経てさらに艶が増しています。
中庭には樹齢250年といわれるサツキが植えられ、花が満開になる5月下旬〜6月初旬に主屋の一般公開とあわせて「はしまやさつき展」を開催していました。また、奥座敷から眺める庭は子孫繁栄を願う陰陽岩組を置き、四季折々の自然を楽しめる空間として整えてあり、風と光を取り込むだけでなく、火災時の延焼を防止する役目も担っています。
明治中期に建てられ、そのままの姿を残す楠戸家住宅は、映画やテレビドラマの舞台になったり、多くの雑誌や建築専門誌などで紹介していただきました。また、小説家の司馬遼太郎氏やイギリスの陶芸家・バーナード・リーチ氏など国内外の著名人が来宅され、お迎えいたしました。
「掃除ほど世にありがたきものはなし」
呉服店3代目・楠戸與平は大変なきれい好きで「掃除ほど世にありがたきものはなし家整うて不老長春」が座右の銘。当時、はしまや呉服店の朝は親子三代、男だけで店の内外を掃除し始めるのが日課でした。1966(昭和41)年10月に来宅されたフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトル氏は、與平が掃除の話を持ち出すと、「掃除は芸術なり」と答えたそうです。それ以来、與平は竹箒を買った際に購入年月日とともに「掃除は芸術なり」と刻み、大切に使い続けていました。
明治時代の面影をそのまま残す趣ある屋敷
1953(昭和28)年5月に楠戸家を訪れたリーチ氏は「ニッポン記」の中で「店に入るとアメ色によくみがかれた柱と床、高い天井、畳のすがすがしさ、小ザサの中にある石灯籠、台所にはヘッツイ、そして唐ウス、古い井戸もある。裏には七つの蔵が“商人の魂”のたくましさをみせ、飛び石が茶室に通じている」と楠戸家を表現しています。
※楠戸家住宅の住宅内部の一般公開は行っておりませんのでご了承ください。イベント時などで公開する場合の日程は別途お知らせいたします。
楠戸家住宅は近代における町屋の変遷を物語る主屋や蔵など、風格を漂わせる建物が状態良く保存されているとされ、1996(平成8)年に主屋の奥座敷部・米蔵・道具蔵・炭蔵・屋根付板塀が文化庁の「文化財登録原簿」に岡山県第一号として登録、2002(平成14)年に主屋の店舗部・玄関部・中座敷部が倉敷市の重要文化財に指定されました。
主屋は1882~1887(明治15~20)年、京都の人が設計し、奈良の大工の手により建てられました。1200坪の細長い敷地には、通りに面して店舗があり、中庭と玄関を隔てて居住部分、その奥に道具蔵や炭蔵、米蔵を有する三段蔵が建ち並んでいます。主屋の表と奥で店舗部分と住居部分を分け、間に中庭を設けた造りは、京都の大規模な商家に採用された平面形式で、「表屋造」という町屋の完成形の一つです。敷地の東側には石畳の路地が奥の米蔵まで通り抜けており、かつて地主として多くの小作米を運び込んだ往時をしのばせています。