- 倉敷市指定重要文化財 楠戸家住宅
楠戸家略歴
楠戸家略歴
七右衛門がこの地に根を下ろし250年、さまざまな時代を生きてきました
- 七右衛門(〜1747)
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- 都窪郡帯江村羽島より分家をして、都窪郡萬寿村大字濱(現在の東町、美和町)へ住居を構える
- 卯八(〜1787)
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- この時代、酒津から早島まで堤防が築かれ新田開発が進む
- 宗八(〜1807)
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- この時代、綿の栽培が広まり、綿糸、木綿の布、紺屋等の商いをする商工業が興る
- 娘・ユウに婿養子・光蔵を迎えるが早世し、後、婿養子・千代吉を迎える
- 平五郎(1829〜1910)
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- 娘・シゲと京をもうける
- 友太郎
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- 平五郎の長女・シゲの婿養子として迎えられるが早世
- 息子・勇蔵をもうける
- はしまや初代 徳吉(〜1901)
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- 平五郎の次女・京の婿養子として迎えられる
- 1869年、呉服商を創業。屋号を「羽島屋」と称す
- いとこの勇蔵へ嫁いでいた長女・岩が戻り、商売をする
- 2代 勇蔵(1870〜1956)
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- 黒住教布教師として人々の病気平癒に尽力し、信者の信頼を集め、黒住教倉敷教会所を設立する
- 1891年、倉敷銀行(のちの中国銀行倉敷本町出張所)設立に協力
- 1906年、合名会社に組織変更。社名を「はしまや呉服店」に改称
- 1928年、伯備線開通に協力
- 3代 與平(1895〜1990)
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- 鶴形山へ別荘を建設(現、阿智神社斎館)
- 庭に岩組、水琴窟、茶室(1942年裏庭へ移築)を設置
- 櫃石島に別荘を建設
- 戦時中、息子3人が戦地に赴く(次男戦死)
- 1947年、岡山県民藝振興株式会社の設立に協力
- 昭和30〜40年代は大原總一郎氏に伴われ、世界的に著名な方や民芸の方が来宅され接待する
- 1993年、第1回くらしきまちや賞を受賞
- 4代 年(みのる)(1917〜2003)
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- 同志社大学卒業後、三菱重工業に入社したのち、はしまや呉服店勤務
- 1950年、株式会社へ組織変更
- 戦後、商売の立て直しに尽力する
- 1991年、元衣装蔵をチャイニーズラグを取り扱う「MUNI CARPETS」に再生
- 1993年、第1回くらしきまちや賞を受賞
- 5代 攸一郎(1947〜)
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- 関西学院大学卒業後、山陽三菱に入社したのち、はしまや呉服店勤務
- 1996年、楠戸家住宅(主屋の奥座敷部・米蔵・道具蔵・炭蔵・屋根付板塀)が文化庁の文化財登録原簿に登録されたのを機に、元米蔵を「夢空間(サロン)はしまや」に再生
- 1997年、元藍蔵を「倉敷建築工房 楢村徹設計室」に再生
- 2002年、主屋の店舗部・玄関部・中座敷部が倉敷市の指定重要文化財に認定される
- 2004年、道具蔵を「ギャラリーはしまや」に再生
- 2008年、北蔵を椅子と家具を扱うギャラリーショップ「倉敷フィント」に再生
- 2016年、呉服店の隣にある洋間を「Art Space はしまや」に再生
- 6代 伸太郎(1976〜)
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- 2010年、呉服店の別店舗を「くらしき 窯と南イタリア料理 はしまや」に再生、開業
- 「ゴ・エ・ミヨ 2020」にてPOPカテゴリー掲載、「ミシュランガイド岡山2021」にてグリーンスターを獲得